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大阪高等裁判所 昭和34年(う)104号 判決

被告人 吉田武治

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役三月に処する。

原審における未決勾留日数を右刑期に満つるまで本刑に算入する。

押収にかかる入場券十二枚(証第一号)はこれを没収する。

理由

控訴趣意第一について

論旨は、原判決は本件公訴事実中公務執行妨害の点につき、平田巡査が三田屋へ行こうとする被告人を実力で制止して派出所内に連れ込もうとした行為は、警察官職務執行法第五条による職務行為として適法なものとは考えられないと断定しているが、被告人が派出所に同行される直前三田屋においてなした言動は、明らかに業務妨害であり、脅迫的、暴行的行為であつて、平田巡査はこれを放置すると被告人が店員に手を出すと思つたので、被告人を派出所に同行したものであり、派出所に来てからも被告人は大声でわめき立てたあげく、「お前らは三田屋ですしを食つたり、酒を飲んだりしているから、おやじをよう連れて来ないんだろう。俺が行つて連れて来てやる。」と言つて三田屋の方へ行こうとしたのであつて、しかも派出所から三田屋までは約五十米離れているに過ぎないから、若しこれを放置すれば、被告人は直ぐ三田屋に行き、再び大声でどなり、同店の営業を妨害するのみならず、同店の店主や店員らに暴行脅迫を加える可能性のある状況であつたことは明白である。即ち危険性は具体化しているのであつて、このような状況においてもなお、犯罪がまさに行われようとした場合とは認めず、人の生命、身体に危険が及び、財産に重大な損害を受ける虞がないとした原判決は、警察官職務執行法第五条の規定を全く否定するもので明らかに不当である。又原判決は本件は急を要する場合ではないと断定し当時被告人も足もよろける程酔つていたのであるから、危険性もなく、急を要する場合でもないとしているが、当時被告人が平田巡査の胸倉をつかみ、足をかけて倒し、又大声でどなり続けていた状況よりすれば、酔つていて直ぐには三田屋には行けないとか、暴行をする余力がないというような状態でなかつたことは明らかであつて、僅か五十米位離れた三田屋に赴こうとしていた被告人の行動は、その場で制止しなければ阻止し得なかつたであろうことは明白である。従つて原審が平田巡査の制止行為を適法な職務行為と認めず、公務執行妨害罪の成立を否定したのは明らかに事実を誤認したものであるというのである。

よつて案ずるのに、本件公務執行妨害の公訴事実は、被告人は昭和三十三年八月二十三日午後四時二十分頃、西宮市西宮警察署今津派出所前路上において、同派出所から西中惣司方に赴き同人らに暴行する虞があるため制止した同署巡査平田良仲の襟をつかみ、同所に投げ倒す等の暴行を加え、もつて同巡査の犯罪予防の公務の執行を妨害したというのであるが、これに対し原判決は、右平田巡査が当初被告人に派出所への任意同行を求めた措置は一応妥当なものと考えられるが、同巡査が再び三田屋食堂へ行こうとする被告人を実力で制止して派出所内に連れ込もうとした行為は、警察官職務行法第五条に規定する(一)関係者の行為により人の生命若しくは身体に危険が及び、又は財産に重大な損害を受ける虞のあること及び(二)急速を要することの二要件を共に充足しておらず、同巡査においてこれらの要件が充足されたと誤認したとしても、客観的に適法な職務行為ということができないから、被告人が同巡査の右制止行為に対して抵抗し暴行に及んでも公務執行妨害罪が成立するいわれはないとして、公務執行妨害の点については無罪の言渡をしたものである。

思うに刑法第九十五条第一項の公務執行妨害罪は旧刑法第百三十九条などの立法例とは異なり、単に国家権力の行使に対する反抗だけを処罰する趣旨ではなく、広く公務員の職務の遂行を保護する趣旨のものと解すべきではあるが、一方国家は公務員の職務の円滑な遂行を保護すると同時に、国民の基本的人権は憲法上最大の尊重を受けるべきものであるから、公務員の違法な職務執行に対して自己又は他人の権利を防衛するため実力を用いて妨害的行為に出でたような場合には、それが防衛のためやむを得ないものである限り、公務執行妨害罪としてこれを処罰することは許されるべきものではない。この意味においては一応適法な職務行為のみが刑法第九十五条第一項の職務の執行として保護を受けるものということができるであろう。しかし公務員の職務行為が同条によつて保護されるためには、常に厳格な意味において適法であることを要するものと解すべきではない。公務員の職務の執行が本条の保護に値するか否かは、抽象的に一律に決すべきものではなく、国家が公務の円滑な遂行を要請する度合と、相手方である国民の権利を保護する必要性の程度とを比較考量し、各具体的事案に応じて判定すべきものであつて、従つて例えば被疑者の逮捕のように国民に対し国家の権力意思を強制する場合は、その職務の執行は国民の基本的人権に直接関係する所が重大であるから、その適法性の要件は厳格に解しなければならないが、例えば公務所内で通常の事務を処理している場合のように、その職務行為が何ら強制力を行使するものでない場合は、その適法性の要件は厳格に解する必要はなく、その行為が当該公務員の抽象的権限に属し、いやしくも公務員の職務行為として成立する以上は、他に多少の法規違反の点があつても、一応適法な職務行為として本条の保護を受け、これに対する暴行脅迫は公務執行妨害罪を構成するものと解するのが相当である。

しかして警察官職務執行法第五条によつて認められている警察官の犯罪予防のための制止行為は、通常実力の行使をも伴うものであるから、その適法性の要件は厳格に解するのが適当であるところ、同条による制止行為が適法であるためには、当該公務員がその行為につき抽象的権限を有することのほか、その行為を為しうる法定の具体的条件即ち同条の規定する条件を具備することを要するものといわなければならない。そしてこれらの適要要件が充足されているがどうかの判断はあくまでも客観的に判定すべきものであつて、単に当該公務員において適法要件が備わつていると信じただけでそれが適法な職務行為となるものでないことは勿論であるけれども、一面本条の制止行為のように法が公務員に認定権或いは裁量権を認めている場合には、たとえ事後の判断においては当該公務員の認定に誤認があつたと認められる場合でも職務執行当時の状況を基準として判断すれば公務員として用うべき注意義務を尽したとしてもその認定が妥当であつたとめ認られるときは、その要件は客観的にも充足されていたものとして、その他の要件に欠けるところがない限り、その職務行為は適法なものといわなければならない。

ひるがえつて本件についてこれを見ると、原審第三回公判調書中の証人平田良仲の供述記載、原審第四回公判調書中の証人児玉小夜子の供述記載、原しげのの司法巡査に対する供述調書及び証人平田良仲の当審公判廷での供述を綜合すると、本件発生当時の状況として、被告人は昭和三十三年八月二十三日午後四時頃、酒に酔つてふらふらしながら、西宮市津門川町一番地三田屋食堂(西中惣司方)に行き、同店の入口の所で金銭出納の仕事をしていた同店店員児玉小夜子に対し、「コバ(或いはコバヤシ)を呼んい呉れ」と言い、同女がその意味が判らないまま(後に判つた所では右のコバ又はコバヤシというのは同食堂の経営者西中惣司のことのようである)ぐずぐずしていると、同女の坐つている前の台を叩いて「何故呼んで呉れないのか」と大声でどなるので、同女は恐れを抱き、同店店員の原しげのに眼で合図をして同食堂から約五十米北方にある西宮警察署今津駅前派出所に警察官を呼びにやり、同派出所にいた巡査平田良仲が右連絡に応じて直ぐ同食堂に来たところ、その際被告人は出納のカウンターの所で、前記児玉小夜子に顔をすりよせるようにして「どうして警察を呼んだのだ」と大声でわめいていたので、同巡査は放つておくと被告人が手を出して同女を殴るかも知れず又営業の妨害にもなると考え、被告人に「言うことがあるならば交番所に来い」と言つて前記派出所への任意同行を求め、被告人は始めは「行く必要はない」と言つていたが、結局「そんなに言うのならば行こう」と言つて、別に暴れることもなく同巡査について右派出所に来たのであるが、派出所に来てから被告人は同巡査に向つて「お前らは三田屋のおやじがどうしてもうけたか知つているか」「お前は何故俺だけを連れて来て三田屋のおやじを連れて来なかつたのだ、お前らはいつも三田屋に行つてすしを食つたり酒を飲んだりしているから三田屋に味方するのだろう」などと盛んに食つてかかり、同巡査は被告人が酒に酔つていて通行人らに乱暴する虞もあり、被告人自身危険でもあるので被告人を保護しようと考え、上司の指示を求めるべく本署に電話をしていたところ、その間に被告人は派出所から出て行き、同派出所の南側の窓の所から同巡査に種々悪口を浴せた上、「お前らは三田屋のおやじをよう連れて来ないだろうから俺が行つて連れて来てやる」と言い、同食堂へ行きそうな様子だつたので、同巡査は被告人が平素から酒を飲むと乱暴する癖があり、かつ当日のそれまでの言動や当時相当興奮していたことから見て、被告人が同食堂へ行けば又主人を出せと言つて店の者に暴行脅迫を加えたり、店の品物を壊したり、どんなことをするか判らないと思い、電話を中止して被告人の所に行き、これを宥めて派出所内に入らせようとしたが、被告人はなおも同食堂の方へ行こうとするので、同巡査は被告人の行為を制止するべく、その手を引つぱつて派出所内に入れようとしたところ、被告人は「何をするのだ」と言つて同巡査の胸倉をつかみ、足をかけて投げようとし、同巡査と共にその場に転んだが、更に同巡査の首をつかんで締めようとしたものであることが認められる。

して見ると、右平田巡査としては、被告人が「三田屋のおやじを連れて来てやる」と言つて三田屋食堂の方へ行こうとするので、被告人が派出所に来る前同食堂において為した言動や派出所に来てからの言動、並びに被告人が酒を飲むと乱暴をする癖があり、かつ当時も相当興奮していたことなどから推して、これを放置すると、被告人は直ちに同食堂に行つた上暴行脅迫その他の犯罪行為に出で、これによつて他人の身体に危険を及ぼし、又財産上重大な損害を与える虞があると認めて前記のような制止行為に出たものであつて、同巡査の右の認定は当時の客観的状況より判断してまことに相当であるというべく、仮りに当時被告人においては犯罪を行う意思は毛頭なく、従つて同巡査において被告人が前記のような犯罪行為に出でるものと考えたのは事実を誤認したものであるとしても、その誤認は当時の客観的状況に照らして明白な誤認であるということはできず、その誤認のために前記制止行為が不適法となるものではない。

なお原判決が指摘している当時被告人が三田屋の主人(西中惣司)に対し特に恨みを抱いている様子は見えなかつたとのことは、証人平田良仲も原審において証言している所であつて、このことは当時の客観的状況の一つとして勿論考慮されるべきものではあるけれども、右の事実は何ら同巡査の前記認定と相容れないものではなく、又右の事実があるからといつて前記の認定が客観的状況に反する不当な認定であるということもできない。又警察官職務執行法第五条には「犯罪がまさに行われようとするのを認めたときは云々」と規定しているが、ここに「犯罪がまさに行われようとする」というのは犯罪を行う危険性が時間的に切迫していることをいい、原判決が犯罪の危険性が具体化していることを要するといつているのも用語としてはあえて不当とはいえないけれども、原判決の例示している「棒を持つて人の背後に迫つている場合」のように犯罪の実行行為に着手する直前の状態であることを要するものではなく、社会通念上犯罪の危険性が切迫していると考えられる場合であれば足りるものと解すべく、本件の場合は前記派出所から三田屋食堂までは約五十米離れているに過ぎず、被告人は当時酒に酔つて足もふらついていたとはいえ、同食堂まで行くのにはさして時間を要するものとも思われないから、被告人が「三田屋のおやじを連れて来てやる」と言つて同食堂の方へ行こうとしている以上は、犯罪を行う危険性はすでに切迫しているものと認めるのが相当である。更に同条の規定によれば、警察官が制止することができるのは、「急を要する場合」であることを要し、同条にいわゆる「急を要する場合」とは、その場で制止しなければその行為を阻止しえない状況にあることをいうものと解すべきであるが、果してその場で制止しなければ阻止しえないかどうかということは、もとより物理的な可能性の有無をいうのではなく、社会通念によつて判断すべきものであつて、本件の場合は前記のように当時被告人は相当酔つていたとはいえ三田屋食堂までの距離は僅か約五十米に過ぎず、かつ被告人は平田巡査が宥めて派出所内に入らせようとしても聞かないでなおも同食堂の方へ行こうとしていたものであり、しかも同食堂へ行けば犯罪行為に出で、他人の身体財産に危害を与える虞が十分認められる状況にあつたのであるから、その場で制止しなければ制止の時期を失し、被告人の行為を阻止しえない場合に該当するというべく、もし右のような場合においても未だ急を要する場合とは認めず、同巡査としては被告人について行き、被告人が同食堂に入るのを見きわめ或いは被告人が犯罪行為に着手しようとするのを認めた上始めて制止行為に出でるべきであるとすれば、それは徒らに警察官に難きを求めるものであるのみならず、これがために無用の摩擦、混乱を来すことも考えられ、到底社会通念に合致した解釈ということはできない。むしろ証人平田良仲も当審公判廷で供述しているように、かかる場合は如何なる警察官でも被告人を制止したであろうと考えられるのであつて、同巡査が三田屋食堂の方へ行こうとする被告人を、その場で直ちに制止したのは、警察官として当然の措置に出でたものというべきである。

なお右平田巡査は被告人の行為を制止するため前記のように被告人の手を引つぱつて派出所内に入れようとしたのであるが、証人平田良仲の当審公判廷における供述によると、その手を引つぱつたのも決して強く引つぱつたものではなく、被告人は酒に酔つてもいるので「まあ派出所に入れ」と言つて、半は宥めるようにして引つぱつたものであることが認められるから、同巡査の採つた制止手段は当時の状況に照らして正に妥当なものというべく、もとより制止のために必要な限度を越えたものということはできない。

然らば本件において平田巡査が三田屋食堂の方に行こうとする被告人の手を引つぱつて為した制止行為は警察官職務執行法第五条による制止行為としてその要件を具備し、適法な職務行為というべきであるから、その際被告人が前記のように同巡査に対し暴行を加えたことは、刑法第九十五条第一項の公務執行妨害罪を構成することは勿論であるといわなければならない。原判決が平田巡査の前記制止行為は警察官職務執行法第五条の要件を欠き、適法な職務行為とは認められないとして、被告人の行為につき公務執行妨害罪の成立を否定したのは事実を誤認し又は法令の解釈を誤つたものであつて、かつ判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつてその余の控訴趣意については判断を省略し、刑事訴訟法第三百九十七条第一項、第三百八十二条、第三百八十条に従い原判決を破棄し、同法第四百条但書により更に判決をする。

(罪となるべき事実並びに証拠の標目)

原審において確定された原判示第一及び第二の事実のほかに左の事実を加える。

第三、被告人は昭和三十三年八月二十三日午後四時過頃、酒に酔つた上西宮市津門川町一番地三田屋食堂(西中惣司方)で、大声でどなり、店の台を叩き、店員にも暴行を加えるような態度をしていたので、急訴によりかけつけた西宮警察署巡査平田良仲がこれを宥めて同食堂から約五十米北方の同警察署今津派出所に連れて行つたが、同派出所においても被告人は「何故俺だけを連れて来て、三田屋のおやじを連れて来ないのか」などと言つて盛んに同巡査に食つてかかつた末、「三田屋のおやじを連れて来てやる」と言つて同派出所を出て前記三田屋食堂の方へ行こうとするので、同巡査は被告人が同食堂に行けば店の者に暴行したり、店の品物を壊したり、その他危害を与える虞があると考え、これを制止するべく被告人の手を引つぱつて右派出所内に入れようとしたところ、被告人は同巡査に対して、その胸倉をつかみ、かつ足をかけて投げ倒す等の暴行を加え、もつて公務の執行を妨害したものである。

(中略)

(心神喪失又は心神耗弱の主張に対する判断)

原審弁護人は判示第三の公務執行妨害の犯行当時被告人は酩酊して心神喪失又は心神耗弱の状態にあつた旨主張し、当時被告人が相当酒に酔つて足もふらふらしていたことは、前掲の証人平田良仲の原審並びに当審における証言、原審の証人児玉小夜子の証言によつてこれを認めうるけれども、一面右各証拠によると、当時被告人が平田巡査に向つて話していた言葉は割合にはつきりしており、又その話す内容も一応つじつまが合つていて、殊に同巡査に対し「お前が法被(制服の意味と思われる)を着ている以上は手をかけない」などと言つていたことが認められ、これらの点から見ると、当時被告人は人の見分けも十分つくのみならず、自己の行為についての是非善悪の弁別力が全然喪失し或いは著しく減退した状態にあつたとは到底認められないから、弁護人の右の主張は採用することができない。

よつて主文のとおり判決をする。

(裁判官 大西和夫 奥戸新三 石合茂四郎)

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